写真で見る広島 No.4
 

白神社と秋季例大祭(しらかみさんの秋祭り)

 白神社は広島市中区中町、平和大通り沿いの近代的なビルの群れに囲まれ、ひっそりと佇む神社です。広島の人は「しらかみさん」と呼び親しんでいます。
 由来 : このあたりは16世紀頃まで海であり、船がしばしば海面につきでた岩礁に衝突し遭難したので、船人は岩上に白い紙を立て、船の安全をはかる目印にしていた。その後ここに小祠を建て”白神”と称し、毛利、福島時代には広島の総氏神として住民から尊崇されていた。昭和20年8月6日の原爆により神社は焼失し、同30年12月に再建された。  〜神社正面の説明文〜

 爆心地からの距離は490メートルで、現在でも、社殿下の岩石群(白神巨厳)と、鼻の欠けた駒犬、熱線の影を残す灯ろうや手水鉢が当時の面影を残しています。海につきでていた岩礁は広島市指定史跡・天然記念物に指定されています。

 白神社では毎年10月28日と29日の2日間、秋季例大祭が開かれます。その時の様子と白神社の写真を収めましたのでご覧ください。

 この秋祭りが終わって11月に入ると七五三祭が始まります。
 
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 広島市指定史跡及び天然記念物「白神社の岩礁」(指定:昭和59年11月28日)
 この岩礁は、広島城築城当時(1591年)海岸線であったこの付近に露出していたものです。又、国泰寺愛宕池の岩と一体のもので、このような岩礁が市街地に残っていることは、三角州発達の歴史をたどるうえで意味深いものです。
 なお、かって、この岩礁上に白旗を立てて航行の目印にしたと伝えられています。
  昭和60年3月 広島市教育委員会  〜神社西側、岩礁の説明板〜

広島市指定史跡「旧国泰寺愛宕池」(指定:昭和59年11月28日)
 この辺りは、旧国泰寺の境内にあたります。この池は、ここに国泰寺の鎮守愛宕社があったことから愛宕池と呼ばれるようになったものです。愛宕社は、国泰寺開基当時(1601年)から存在しており、この池は当時のおもかげを残しているもので、城下町形成初期の遺構として貴重なものです。
 また、この池は、白神社の境内に連らなる岩礁の一部を利用して池としたもので、城下町形成初期の頃の海岸線は、この付近であったと推定され、三角州形成の一つの里程標としても意味深いものです。なお、池石の一部に彫られた竜は、満潮時には遊泳したという伝説を伝えています。
 国泰寺は毛利氏の時代に、僧恵瓊(えけい)が安国寺として創建し、福島氏の時代に改めて国泰寺として開基されました。(1601年)その後、浅野氏が藩主として入国し、その菩提寺として、歴代藩主の尊敬をうけました。
 現在、国泰寺は、西区己斐上三丁目の山腹に移転しています。
  昭和60年3月 広島市教育委員会  〜神社南側、愛宕池説明板〜