筑紫丸(つくしまる) | |||
貨客船 大阪〜大連航路(に就航する予定でした) |
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IMO番号 | 総トン数 | 8,135 トン | |
船舶番号 | 全 長 | 141.2 m | |
信号符字 | 型 幅 | 18.0 m | |
型深さ | 10.15 m | ||
船 籍 | 大日本帝国 | 航海速力 | 16.5 kt |
船籍港 | 大阪 | 最高速力 | 18.63 kt |
造船所 | 川崎重工艦船工場 | 旅客定員 | 779人(予定) |
乗組員 | 129 人 | ||
就航年月 | 1943.03.25 | 馬 力 | 8794 ps |
改名年月 | 1952 | 出 力 | 6468 kw |
船 主 | 大阪商船 | ||
運 航 | 大日本帝国海軍 |
この船は昭和1941(S16)年9月24日に商船として進水しましたが、艤装工事中に第二次世界大戦が始まり、そのまま海軍の特設潜水母艦として建造され、1943(S18)年3月25日に竣工しましたが、同時に日本海軍に徴傭され、特設潜水母艦として入籍し佐世保鎮守府籍→呉潜水戦隊に編入されました。1945(S20)年には船舶事情の悪化のために改造されて「石炭輸送船」となりました。 戦後1947(S22)年半ばまで、満州、マニラ、ラバウルから多くの引揚者を日本に輸送しました。1952(S27)年、パキスタンのパン・イスラミック・スチームシップに売却されサフィナ・E・ミラトという船名でイスラム教徒のメッカ巡礼船として活躍しましが、1960(S35)年火災によって焼失したということです(はっきりは分かっていません)。 なお「潜水母艦」というのは、海軍の補助艦艇の一つで、潜水艦に附随して食料、燃料その他物資を補給し、潜水艦乗組員が休養するための設備を提供する艦のことです。専用の艦を新造する場合の他、筑紫丸のように徴用した商船を改装したものもあり、これらを「特設潜水母艦」と呼んだそうです。 本来商船として活躍するはずだった船の何とも切ない軌跡です。 |