2012年3月31日、呉市営バスはその歴史を終え、全業務を広島電鉄に移譲しました。長年にわたり呉市民の足となってきた市営バスが姿を消して行く光景は、呉市民のみならず多くの利用者やバスファンにとってとても寂しいとこと思います。これで広島県内には市営バスが全くいなくなりました。 私も40年位前からちょくちょく呉市営バスを利用していました。広島から倉橋島の最南端まで何時間もかけてバス旅をした楽しい想い出、高速道路(クレアライン)のできるずっと以前、海辺の国道をバスの窓から夕陽を見ながら広島に向かった想い出、一時期広島に乗り入れなくなった時代に寂しさを感じたことなど、私にとっても呉市営は色々な思いを残してくれました。我が故郷尾道市営が廃止された時、子供の頃からよく遊びに行った三原の市営バスが廃止された時も同じような思いをしましたが、広島市民となって長い今、呉市営バスがいなくなることは、何より大きな悲しみを感じます。 4月以降順次呉市営カラーから広電カラーに塗り替えられています。6月現在呉市内には「広島電鉄」と書かれた呉市営色のバスがまだ結構走っています。8月には塗り替え完了を予定しているということですので、この光景を見ることができるのはもう少しの期間だけです。どうぞお見逃しなく・・・。 かなり古い車体も塗り替えたばかりですから、新車のようにピカピカです。登録ナンバー(ナンバープレート)を見ないと、新車と間違えてしまいそうです。この特集では呉市営から広島電鉄に変わった際に変更された点などを中心に載せてあります。呉市交通局から広島電鉄へ移籍車両写真集はこちらからご覧ください。 |
1.当然ですが社章が変わりました。広電色に変わるまでは白で消されていました。広電色になってから広電社章が書かれます。 | ||
呉市営の社章 |
消された社章 |
広電の社章 |
2.これも当然ですが、社名表示が変わりました。呉市営色では「呉市交通局」の文字に「広島電鉄」の文字を重ねてあります。余談ですが広島市内を走るほとんどの広電は「広電バス」なのに対し、呉からの移譲車は「広島電鉄」となっています。社名アピールのためなのでしょうか・・・・? |
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呉市営標準色に書いてあった社名 | ||
新塗色車に書いてあった社名 | ||
一部の高速仕様車に表示されていた社名 | ||
100円バスに書いてあった「市営バス」マーク | ||
ラッピング車に貼ってあった「市営バス」ステッカー | ||
「Kure City Bus」文字は残したままの「広島電鉄」 |
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「呉市交通局」の上に貼られたステッカー | ||
塗り替えてからは「広島電鉄」と表記されました | ||
※広島市内所属のほとんどのバスは「広電バス」と記されている | ||
高速仕様車には車体側面にこのロゴが | ||
ラッピング車は「市営バス」から「広電バス」にステッカー変更 | ||
3.さらに当然なのですが、社番が変わりました。呉市営色の時は、呉の社番の近くに広電の社番が貼ってあります(扉側とリアウインドウの下だけで、運転席側には貼ってありません) |
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ツーステップ側面 |
ツーステップリア |
ノンステップ側面 |
社番の付け方は私の予測ですが、一桁目の営業所番号が呉の各営業課所属車は「9」となります。クレアラインなど一部の車は広島南営業課所属の「1」になっています。二桁目のメーカー番号は今まで広電にいなかった三菱ふそうの中型車に「7」が、日産ディーゼル車に「8」が与えられたようです。 <ご迷惑をかけますので広電さんに直接聞かないでくださいね> |
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4.社番の書体(フォント)が変わりました。呉所属の「9・・・・」が今まで広電に無かった書体に変わっています。 |
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← 呉所属・広島所属 → | ||
5.「呉駅前・そごう」行きは廃止され、全便「呉駅前」行きとなりました。 |
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6.ホイルが今や広電標準のアルミホイル(銀色の物)に変わりました(塗り替えただけじゃないと思いますが・・・・?) |
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呉市営時代のホイル 広電色に変わってからのホイル |
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7.方向幕は呉市営時代の物を使っています。 |
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8.移譲後に新車も投入されました。広電初の日野といすゞの中型ノンステップ車です。椅子は広電仕様のグレー系ハイバックシートになっています。 |
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日野レインボーU SDG-KR290J1(左)と、いすゞエルガミオ SDG-LR290J(右) |
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9.移譲されたことで、広電初のキュービックバスがお目見えしました。 |
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いすゞ KC-LV280L |
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10.呉駅前の乗場案内板は「呉市営バス」「呉市交通局」のままです。 |
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11.行先案内や時刻表は「広電バス」となっています。 |
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