鞆鉄はワンマンカーが導入された際に車体に赤いラインが入り、フロントガラス下の五角形も赤になりました。当時はどこの会社もワンマンとツーマンが一目で分かるように車体に帯を入れるなどの工夫をしていました。尾道市営・三原市営・呉市営は黄色いライン、広電はピンクのラインでした。しかしワンマン化が進むにつれ、識別する必要がなくなり、元のカラーリングに戻って行きました。
 写真は昭和59年当時の尾道駅です。当時国道2号線をはさんで南側には1番から5番乗り場があり、鞆鉄は4番乗り場でした。写真右側にちらっと写っている中国バスが5番乗り場、その右に見える建物が尾道港湾ビルです。左手に三原市営の発着する3番、市内北方面行きの尾道市営が発着する2番乗り場と続き、待合スペースと切符売場などがあり、市内本線(西行き)の1番乗り場が国道沿いにありました。
 国道の北側には縦列駐車の乗り場(3台分)があり、市内本線(東行き)や東回りの循環線などが発着していました。その北側にJR(当時は国鉄)尾道駅があります。
 
福山22 く756 社内番号:N4-150
シャーシ 日産ディーゼル ボディ 富士重工15型E
車種 年式 1984年
型式 P-U32L 床/step ツーステップ
移籍元
備考 以前は車体に「鞆鉄道株式会社」と書かれていました。
今は「トモテツバス」です。懐かしいデザインと色の車体です。
元々露出不足の失敗写真ですが、何とかここまで補正しました。雰囲気はお分かりいただけるかと思います。みにくくてすいません。お楽しみ頂ければ幸いです。
福山22 く756
 
懐かしい昭和の写真 1984(S59)年12月30日撮影 尾道駅
 

 
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