写真で見る広島 13
 
被爆建物−1

広島電鉄(株)千田町変電所・資材倉庫
(旧・広島電気軌道(株)火力発電所)

 この建物は広島電鉄の前身である広島電気軌道が開業した1912(大正元)年、今の広島電鉄の千田車庫(広電本社前)に残っているレンガ倉庫(右)と、隣接する鉄筋コンクリート造りの建物(左)の2棟です。
 発電用のボイラーと発電機を収容するために建設された建物で、爆心からの距離は1,9キロ。旧ボイラー棟(右)には、今も当時のままの曲がった鉄骨が残っています。また、旧発電棟(左)は現在も変電所として使われています。
 原爆が投下された8月6日の午後から復旧にむけての作業が始まり、3日後の8月9日には被爆を免れた廿日市変電所を電力源に、己斐〜天満町間で最初の電車「一番電車」が動き出し、被爆した広島市復興の一役を担いました。電車が走り始めた事で傷ついた市民たちは随分励まされたといいます。 被爆電車についてはこちら
 昭和9年よりボイラー棟を資材倉庫に、発電棟を直流変電所に用途変更しています。原爆によって屋根を中心に被害を受け改修を受けています。
 この写真は広島電鉄本社前に設置してある原爆被災説明板です。
 
 広島電鉄株式会社
 (爆心地から約1.9キロメートル)

1945(昭和20)年8月6日、人類史上最初の原爆投下により、一瞬にして木造の本社屋は半壊し、修理工場や車庫では多くの職員が倒壊した建物の下敷きになって押しつぶされました。
ラッシュアワーで混雑する乗客を乗せて走っていた電車やバスの中でも、多数の犠牲者が出ました。このように交通機関も壊滅的な状態でしたが、関係者の懸命な努力により、その3日後には早くも西天満町〜己斐間の電車の運行が再開されました。動き始めた電車の姿は、うちひしがれた市民の気持を大いに力づけました。
 
 
写真説明:半壊状態の広島電鉄本社 撮影・川本俊雄氏